ミニマリズムとケチの成分は100%同じだ。
いまさらな感もあるけど今回はミニマリズムについて。
タイトルにある「ミニマリズム」と「ケチ」、実はその成分は全く同じものだったりする。
じゃあ違いがあるのか。あるとしたらいったい何の違いなのか。
ミニマリズムとケチの境目
ミニマリズムとケチの意味を確認しよう
まずミニマリズムについて。
美術・建築・音楽などの分野で、形態や色彩を最小限度まで突き詰めようとした一連の態度を最小限主義、ミニマリズム(英: minimalism)という(ミニマリスムとも表記される)。1960年代のアメリカに登場し主流を占めた傾向、またその創作理論であり、最小限(minimal)主義(ism)から誕生し、必要最小限を目指す手法である。装飾的な要素を最小限に切り詰め、シンプルなフォルムを特徴としている。フランスの現象学の哲学者であるモーリス・メルロー=ポンティは、「ミニマリズムの哲学者」と呼ばれる。
引用元:ミニマル – Wikipedia
次にケチについて。
むやみに金品を惜しむこと。
ミニマリズム(最小限主義)に関しては偏った文脈で使われることもあるけど、本来の意味はその言葉のとおり必要最小限ということだけだ。過ぎたるは及ばざるが如し、である。※言うまでもないとおもうけど念のために断っておくと、ミニマリズムというのは物理的なモノに限ったことじゃない。精神的なことも含む。最近はメディア露出が多いせいか、本来の意味からだいぶ狭まったものになっている感はあるけど。
ケチはもっぱら悪い意味を含みながら使われる。さっき引用したgoo辞書の説明にも「むやみに」という言葉があるように。
ではいったいなにが
このミニマリズムとケチ、目的と手段は全く同じだ。
「いらないものにコストをかけないようにする。不必要なものを持たないようにする。」
その点でこの2つは完全に一致している。
つまり、ミニマリズムとケチの差は考え方の差ではない。これは状態の差だ。
適切かどうか、という。
「信念がある」になるか、「頑固」になるか
「リードしてくれる」になるか、「強引」になるか
「慎重」になるか、「優柔不断」になるか
「立派」になるか、「贅沢」になるか
たとえ同じことをやっていても、タイミング、相手、本人の背景……その環境に適しているかによって答えは変わるもの。
ミニマリズムとケチの場合についてもこれと同じことが言える。
単純化してしまえば、
「適切な節制がミニマリズムで、適切でない節制はケチ」
もっと極端な言い方をすると
「良い節約はミニマリズム、悪い節約はケチ」
だ。
※もちろんミニマリズムでも悪い意味をつけれないことはない。さっきの例で言えば慎重という言葉に悪い意味を感じたり、強引という言葉に良い意味を感じたりするのと同じように。だけどもともと本来の意味でふつうに考えれば一般的には専ら良い節制という意味になる。
その”適切さ”だけが違う。両者を分けているのは総合的な良し悪しだ。
パッと見た感じでモノがなさすぎて困るようにに見えてもイイ感じで生活を送れているのであればそれはミニマリズム。同じように断捨離しても、結果として生活が不自由になるのであればそれはケチ。
少ない要素だけで魅力的だったり効果的だったりするデザインがあれば、それはミニマリズムなデザイン。必要不可欠なものまで削って簡素に簡素にと味がなくなったデザインは、ケチっただけのデザイン。
お察しのとおり、これは見る人によってが判断が変わる。
理想的な節制がケチに見えたり、非効率なファッション断捨離がミニマリズムに見えてしまうのはこれが要因だとも思う。
だから(本人でさえも)見極めがけっこう難しい。なにしろやっていること自体では判断ができないからだ。
最近までミニマリズムミニマリズムと騒がれていたのはべつに目新しい概念だったからとかではない。「必要なものだけにしよ」という太古の昔からある考え方なのだから。それが新鮮に映ったのはいろいろモノがありあまる現代において「てかさ、これだけでよくね?」という軽量化スタイルが適切に思えたからだ。
画期的な概念だったわけではない。そう感じてしまうほどぼくらのバランスが崩れていたというだけだ。
あなたはどうだろうか。その節約は不必要なものを適切に省いたミニマリズムだろうか。それとも削ったことで余計に苦労してしまうケチだろうか。