ぼくらの研究

ぼくらのための研究をしていきます。

熊本地震の動向がいろんな意味でカオス

   

 

芸能人が被災状況を発信したがそれが不適切だと叩かれる
→被災者の現状も知らないで叩くなんて何様だと叩いたやつが叩かれる

 

政党の公式Twitterでけっこうな暴走があって叩かれる
→配慮を欠く行為だったと謝罪するが担当者個人の見解だというのが責任逃れだとさらに叩かれる

 

報道局の車が急いで給油したくてガソリン待ちの列に割り込んだと叩かれる
→調べてみるとそれはデマだと報道され、叩いたやつが叩かれる
→デマだという報道が実はがデマだと分かって四方八方叩かれる

 

議員が失言をして叩かれる
→官房長官も大震災級ではないという発言をして叩かれる
→それが悪意ある切り取り、偏向報道だったと叩かれる

 

90万食届けるといったのに届いてないと叩かれる
→届けたらスペースもないのに一度にこんなたくさんの食料届けられても困るこっちの事情もくみとってくれと叩かれる

 

芸能人が熊本にからむとわざわざ宣言するな売名だろと叩かれる
→行動してないやつよりはマシだよなと叩いたやつが叩かれる

 

「被災して苦しい人達がいるのに楽しく番組で騒ぐのは無神経」VS「関係無い自粛は不必要で無意味」で尾木ママとホリエモンが叩き合う

 

「気持ちだけで乗り込んでいった無力なボランティアは邪魔なだけだ現地の人のことを考えろ」VS「行動してない無関心なやつが一番タチがわるい」で掲示板で叩き合う

 

 

 

捻じ曲げ報道増加&とりあえずみんな叩かれる でカオス。

 

問題が大きいし、多くの人が関わってるし見てるからどう動いても(動かなくても)角が立つもんなぁ。

 

1番良いバランスをとるのは難しいね。やんなきゃだけど。(叩かれつつ)

 

そこにあるのは、多くの人たちが、物事を客観的に見ず、また抽象的に捉えることをしないで、ただ目の前にある「言葉」に煽動され、頭に血を上らせて、感情的な叫びを集めて山びこのように響かせているシーンである。一つ確実に言えるのは、「大きい声が、必ずしも正しい意見ではない」ということである。

できるだけ多くの人が、もう少し本当の意味で考えて、自分の見方を持ち、それぞれが違った意見を述べ合うこと、そしてその中和をはかるために話し合うことが、今最も大事だと思うし、誤った方向へ社会が地滑りしないよう、つまり結果的に豊かで平和な社会へ導く唯一の道ではないか、と僕は考えている。

引用元:森博嗣著 人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか 57,58項