予測可能回避不可能
2017/06/20
ぼくらはどう転んでも後悔する。
安全を選べば退屈。もっと冒険しておけばよかったかもしれないと後悔。
冒険を選べば不安。安全な道を選んでおけばよかったとかもしれないと後悔。
隣の芝は、どこに行っても、どんな時でも青く映り、今とは違う場所へと突き動かす。
必要なことかもしれない。
でなければぼくらは動くことなく、創造することなく、悩むことなく、知ろうとすることなく、励むことなく、人類の生活は原始時代からたいして変わらなかったんだろう。
幸か不幸かぼくらはどう頑張っても満足しきれない。豚にはなりきれない。
えらい哲学者に言われるでもなく、ぼくらはどうしたって不満足な人間なんだと思う。
隣の芝はこれからもずっと青く、ぼくらが満たせなかった一面を魅力的に見せていく。
避けることはできない。後悔を。
だから、ぼくらにできるのは後悔の中身を選ぶことだけだ。
惰性でだらだら生きて、もっと冒険すればよかったと後悔するのか
冒険の果てに憔悴しきって、こんな不安でつらい道なんか選ばなければよかったと後悔するのか
自分の心のおもうがまま自己実現に生きて、理想と現実の埋まらないギャップに後悔するのか
富と名声と権力を手に入れた末にそれが虚しいと後悔するのか
何も求めず生きて、なんて味気のない人生なんだろうと後悔するのか
これこそが自分の生きる道だと信じ突き進んだ後で、もっと別の道もあったのではないかと後悔するのか
どっちつかずの道を選んできて、はたして本当にこれで良かったのかだろうかと後悔するのか
後悔なんてない、自分の人生には一片の悔いもないと目をそらし続けていたことを後悔するのか
どういう後悔をかかえて生きていきたいのか。
その選択だけが唯一、ぼくらにできることだと思う。