わすれる
人間は自分にとって重要でないことを忘れる、という話をよく聞く。
なんでも全部覚えてたら脳内メモリーがいっぱいになって動けなくなったり気が狂ったりまぁそんな感じでやばいので、あえて忘れているという。
つまり自分自身のためにあえて忘れている、という話だ。生命ってうまくできてる、ほんとすごいなー、ほんとすばらしいなぁ、という話だ。
確かにそういう面はあるかもしれない。
ただ、それだとうまく説明できないこともある。
もし自分自身のためにあえて忘れることができるのなら、自分自身のためにそれを思い出せてもいいはずだ。
どうでもいいことはすんなり思い出せるのに、可及的速やかに何が何でも思い出したいことがいくら必死になっても思い出せなかったりする。
最初言ったような見方もできるけど、これは単純に欠陥だと見る方が自然ではないだろうか。
未完成なシステムの一面だけを切り取ってぼくらが勝手に好意的に解釈しているだけではないだろうか。
もしくはあれなのだろうか。
何でもその気になれば思い出せるようになった場合に起きてしまう弊害は実は想像以上に大きくて、それに神さまはとっくに気づいていて、ぼくが単純に分かっていないだけなのだろうか。
忘れることはメリットもデメリットもあるけど、でもそれはちょうどいい塩梅でバランスされていて、ぼくらは今すでに完成されているのだろうか。
いや、きっとそうではない。
今日自宅から100mしか歩いてないのに迷子になってしまったぼくが完成しているはずはないのだから。