ダイエットはいつ嘘をつくのか
冬。よく思う。
「そのダイエットって意味あるの?」
いや待て。
「デートの前にちょっとでも…」とか「気になる人がいて…」とか「もうデブキャラは嫌だ!」とかもういろいろ切実な理由があるに違いない。
でもその人の体形というのは基本的にその生活をしてきたからその体形になっているわけで。(基本的に、と控えめに言ったのは病気とかの先天的なものもあるので)
バナナとかビリーとか納豆とかマイクロとかサラダとか断食とかライ○ップとかで一時的に体重を落としたり体を引き締めても、生活を元に戻せば体も元に戻るわけで。
脂質や糖質を避けサラダを最初食べて空腹感を満たすような食事法を徹底し、ジムに行って有酸素運動や無酸素運動に汗を流す。そうして得たボディーはそうした日常があったからこそで、目標を達成した後に息抜きと称して友達と飲みに出かけて自炊はめんどくさいからコンビニやファーストフートで済ましジムなんてずっと行ってなくて会費だけをムダに払っている……という普段の生活に戻ればそれに沿うように体も戻っていくのが当然の帰結。
だからその体形に本当になりたいのであれば、その体形を維持できる生活を”ずっと”続けていくしかない。
そういう意味でよくダイエット系の謳い文句にある「○○体形のなり方」というのは間違いだ。なり方ではない。なり方はない。在り方なのだ。
体形とは獲得できるものではない。保管できるものではない。日々の姿勢を表すものなのだ。それは手に入れて閉じ込めておくことができない幸せにちょっと似ている気がする(おもに前半の意味で)
なんだかまた脱線しはじめそうなのでここらへんにしとこうかな。
とりあえずアレだ。
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