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森博嗣「本質を見通す100の講義」を読んだ感想

      2016/10/13

本質を見通す100の講義

本というのは、窓から差し込む光のようなものであって、それで貴方の部屋が明るくなることもあれば、埃や汚れを際立たせることもある。でも、それは貴方の部屋なのだ。光が作ったものではないし、僕は、貴方の部屋を知らずに書いているのである。
あるときは、その光で貴方自身の影がくっきりと壁に映し出されるかもしれない。自分の姿のアウトラインは滅多に見れるものではないから、じっくりと観察して、楽しんでもらいたい。本を読む醍醐味は結局はそこにある。作者を知るために、太陽を見ても眩しいだけだ。それよりも、自分の部屋に目を向けた方がずっと有益だろう。

というまえがきから始まる本著。

本章の話に移る前に断っておくが、「本質とはなんであるか」という議論はこの本の中ではされない。
なので念のために一般的に使われている本質の定義を記しておく。今この記事を読んでくださっているのは(おそらく)森博嗣に興味がある人なので、そんな方々にとってはやぶさかかもしれないが一応。

本質:そのものとして欠くことができない、最も大事な根本の性質・要素。

Google検索結果 「本質」サジェストより引用

「本質」の所有格がなんであるかは100の題材それぞれ違う。
そしてこの記事では100の題材全てを取り上げてぼくの所感を述べることはしない。気になったものだけピックアップして好きにつらつらと書いていく。

最初に紹介したまえがきに従えば、そもそも書評では読者に光を差すことはできない、光によって照らされたぼく個人の部屋を見せることしかできないからだ。だからこの記事の役割もそこに甘んじる。

どのページにも学びはあるが、ぼくの場合テーマタイトル単体だけを見ても大きな発見や気付きはなかった。(この本を買って、まず最初目次だけに目を通した時にいつもの優秀なコピーが並んでなくて少し落胆……いや困惑したほどだった)
森博嗣の著作はわりと部分だけを切り取って学んでも役立つものが多い。個人的にはあまりコンテクストに頼っていないからだと思っている。
でもこの本は(少なくてもタイトルだけの切り取りでは)学びにならないと思う。

だからもし興味があるのであれば是非原著を読んでみてほしい。
ここまで(普段のぼくよりは)厳粛な言葉使いをしてきが、以降は各章の感想という名のメモ書きの羅列である。一気に口語っぽくなるが、ご容赦いただきたい。
なおここまではけっこう森博嗣風の文章を意識して書いてみた。

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各章の感想

第1章 ロケットを作ってから載せるものを募集する、メディアの歪み。

でも供給を先に作ってから需要を考えるってのも良い面もあるよなぁ。一長一短かな。まぁ森博嗣が言いたいのは手法うんぬんじゃなくてそのバランスが崩れている(歪んでいる)とこがありますよ、ってことなんだろうけど。

第2章 格差が問題になっているが、資本が目指すものは格差なのでは?

人間の仕事に、それほど大きな差はない。エネルギィ的に見て、個人がなす仕事量には限界がある。だから、仕事に対して報酬を与えるだけならば、さほど大きな格差は生じない。資本主義における格差は、仕事をしないで得られる利益が存在するためである。ここが「資本」の意味だ。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 31p

この章の本筋からは少し外れるが、ここなんか勉強になった気がする。

第3章 成長時は遠望していたのに、衰退時は近視眼になる。

資本主義は成長するものに適したシステムだ。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 32p

資本主義は、衰退する組織にとっては非常に厳しい環境なんおである。危なくなったら早めに潰してしまう方向へ作用する、といっても過言ではない。少しずつ、ゆっくりと商売を小さくすることがとても難しい仕組みになっているのだ。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 33p

ここも前章に同じように資本についての話。なんとなくピックアップ。

第4章 同じ国の人間なのだから、と考えなければ国の意味はない。

ルソーの社会契約論を薄めてざっくり言及している感じ。

6章 「廃棄物処理場をどこに作れば良いのか?」と質問された。

民主主義というのは、みんなが自由になる、ということではない。みんなでリスクを分担する、という意味だ。誰もが少しじつ不満を持って、少しずつ危険を抱え込むこと、それを許容することが、民主主義の精神である。不満や危険が一部に集中しないように、バランスを取ることが政治家の仕事になる。
したがって、消費税をゼロにするとか、教育費をゼロにするとか、原発を即ゼロにするとか、基地はすべて国外とか、そういう「みんなが得する」ことばかり言っている政治家は、極論をすれば、民主主義を利用した詐欺師のようなものだ。本当なら、「どうかこれだけは負担して下さい」とみんなに頭を下げて回るのが政治家の使命なのである。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 39p

リスクと民主主義の話はまさにそうだなぁ。でもこういう全体の枠組みの話と一部のセーフティーネット的な対策を混同して考える人も多いだろうからさすがに政治家はこのままは言えないだろうけど……いろいろと考えさせられる。

8章 「記念」というものにまったく価値を感じない。

最後の話はたしかにそうだと思った。何かにつけて、ぼくらは何につけて区切りを欲しがる。でも本当はすぐにでもやるべきことを怠慢で先延ばしにしている言い訳なのかもしれない。

第9章 イメージの一致を求める人たち。

もう少し身近なところだと、「デフレからの脱却」みたいなものも同じだ。具体的にどう脱却するのかは、意見いろいろ、利害さまざまである。でも、もしできることの共通点を探ろうとすると、もの凄い細かい手しか打てない。もっと大胆な政策はないのか、と不満がみんなから出るはずだが、その不満の方向がこれまた違うため、ベクトルを合計すると力が弱くなる。
脱原発だってそうだ。危険なものはなにに越したことはない。しかし、具体的にどうするのか、という意見はさまざまだし、使える金には限りがある。利害がぶつかり合ってしまう。「どうするのか」という意見で一致できないから、大きく進まない。もともと、そういった利害を取りまとめ、偏らないように調整して進んできた結果として、原発が稼働していたのだから、簡単にはいかないのは自明である。とりあえず燃料を調達して無理に火力を使う、とりあえず太陽光発電をむやみに推進してみる。そういう「とりあえずの策」しかない。根本的な解決策などない。原発に反対している人たちだって、どうしたら良いかわからないし、意見も一致させられない。
それでも、小さくても良いから一致する部分を見つけて、みんなで盛り上がりたいのが、人間というものらしい。あるときは言葉だけでも良い。その言葉をみんなで叫んでいる間は、気持ちが通じ合った同胞幻想を見ることができるためである。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 45p

メモ。

利害の一致する人の数を増やせば増やすほど、細かい策、小さい策しか打てなくなる。大胆な策というのは効果が顕著な分利害が一致する人が少ないことを意味し、被害を被る人の数も増える。

第11章 森博嗣は映像化に恵まれているのにぱっとしない。

読者が映像化を嫌うのは、自分以外の人が、自分とは違うイメージを持つことを恐れているためだろう。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 45p

ぼくもこのきらいがある。図星をつかれた感。でもまぁ共有したいっていう衝動それ自体はいい方に働くこともあるけどなぁ。

14章 田舎は褒めるしかない。都会は貶しても大丈夫。

内容全般的に頷くしかない。強者は強いから貶しても大丈夫だけど弱者は貶したら死んじゃうから言えないよね的なのもそうだけど「弱者がなぜ弱者になったのかという視点が欠落している……」うんぬんのところが特に。

21章 それでも、トータルとして「悪くない」のが今。

せやな。

23章 本が嫌いだったけれど、すべてを本から学んだ

この頃はネットが本に代わろうとしている。しかし、本のように一冊に纏められているわけではないので、「世界」を感じることが難しい。単なる軽い「回答」は見つかっても、それはどっしりとした「知識」ではない。こういう時代にいる子どもたちは、軽い回答を集めて、便利で恙無い(つつがない)生活を送るだろう。でも,知識の深さや広がりを持っていないから、いつまでも満たされてないし、満たされないがゆえに、他社に与えられるものを持っていない。周りを見て、周りにきいて、歩調を合わせるだけの人になりやすい。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 75p

たしかに統一的な世界を体験できるのは本だけだなぁ。今の現代情報社会時代の弊害の説明も上手い。

32章 TVから「こうすれば売れるのか」をときどき学ぶ。

大勢を相手にする人ほど判断は遅れるか……んー一概にそうも言えないような。見てる対象が少ない場合はそりゃ変化が目立つだろうけど、それこそ文中で言っている”センスの鋭さ”が対象にあるのかってことによると思う。変化が分かりやすいようにソースを減らしても、そのセンスが悪いかったらよけいにダメなような。

パターンを知れば、逆に新しいものを生み出す手助けになるっていうのはそうだと思った。

41章 ○○は嫌いだ、ではなく、嫌いな○○がある、が正しい。

盲点だった。

58章 「百パーセント」というとき、母数がなにかを確認しよう。

だいぶ昔の話だが、「ボンカレーは牛肉百パーセント」という広告を見た小学生の僕は、「だったら、カレーじゃないよね」と母に言ったのだが、相手にされなかった。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 146p

大事なことだなぁ。確認しよう。

60章 はっきり言って、作家の仕事の三十倍は、大学で働いた。

僕が書く本を読んだ人で、「森博嗣は世間知らずだ」と批判する人がいるけれど、僕は、それを批判だと感じない。どうしてかというと、世間なんか知りたくなかったからである。いつも世間知らずでありたいと願っていた。見て見ぬ振りでは、世間は知れてしまう。世間知らずであるためには、なにかに没頭し、一心不乱に打ち込まなければならないだろう。それが、世間知らずだけが持てる「誇り」の一つでもある。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 153p

逆説的だけど、実際そうだな。

61章 やるべきことをできない、という人間に誰がしたのか?

森博嗣にしては熱い。だがいい。

63章 何を作るかは考えるのに、どう作るかは後回しになる。

作り方のイメージができないと、作るものだって決まらない。どのように加工し、どう組み立てるのかによって、形の細部が変わってくる。作り方が決まらないと設計ができない、といっても良い。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 158p

おそらく人生設計においても、何かをするかよりも、それをどう実現するのかが、最終的な優劣を決するだろう。

引用元:森博嗣著 「本質を見通す100の講義」 大和書房 159p

うん。たしかにそういう面も強そうだ。

第69章 エッセィは、どうしたって「おやじくさい」ものだ。

ここに出てくる人のエッセイを買って試しに読んでみよう。遠藤周作、曽野綾子、土屋賢二。どの人のエッセイもまだ読んでいない。

第79章 価値を見つける目を持っている人は得しかできない。

人生の選択というのは、賭け事のようにプラスかマイナスにきっちりと分かれているものではない。それは、中身のわからない福袋を選ぶみたいなものだ。どちらの福袋が良いか、と悩んでいるのと同じである。袋越しの感触や重さや振ったときの音で判断するしかない。

福袋というのは少し言い過ぎかもしれないけど、言っていることはあながち間違ってないと感じる。

87章 問題の解決に、苦しさと楽しさがあるのはなぜか。

んータイトルの楽しみと苦しみに分かれるのはなぜか、という結論が書いてないように思えるけど。
あとなんか思い出したのは3月のライオンの「達成感とめんどくささはもれなくセットになってるのがねー」ってセリフ。

88章 抱えている問題の多さが、その人の深みを醸し出す。

ちょっと森博嗣っぽくない文章だなぁ。いい意味でだけど。

89章 問題を少し難しくするために、簡単に見せかける手がある。

人は「問題が解けた」と思った瞬間もう考えなくなるのだ。

まぁでもこれは有効な防衛本能でもあるとは思う。終わったと確信できているものにずっと気になって悩んでいたら先に進めないし。

90章 感情の理由を知ることで、その感情から開放される。

日頃からしておくべき訓練かもかも。

まとめ

全く触れていない章は特段の感想を持たなかったものである。
つまりほぼ完全に同意見で新しい発見がないと思っているものか、筆者の言いたいことが理解できていない故に感想が出てこないものである。願わくば後者は限りなくゼロであってほしい。

個人的にはまえがきが一番印象に残っている。
それは森博嗣に言わせれば、まえがきの部分がぼくの部屋を一番くっきり照らしたということかもしれない。

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