ぼくらの研究

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西尾維新の対談本「本題」を読んだ感想

   

本題 西尾維新

 

今をときめく(死語)人気作家の西尾維新と有名作家さん達との対談をそのまま記録した本。

読んだ感想というかまぁほとんど備忘録的なものを書き散らかしていこうと思う。

小林賢太郎×西尾維新 物語の「ルール」と「作り方」

ぼくが一番最初に小林賢太郎さんを知ったのはラーメンズでのシュールなコント。

第一印象は売れない芸人さん。(相方の片桐 仁さんはもうテレビドラマで見る強烈なキャラの印象のほうが強くなってしまった)

でもこの本でだいぶ印象が変わった。おもしろい人だな。

この対談で出てくる”言葉ポーカー”はおもしろいと思った。クリエイティブ系の仕事をしている人はこの遊び良さそう。

あとは西尾維新さんが薦める文章作成超特化型ワープロのポメラが欲しくなった。

純粋に文章を書くだけの人はたぶんこれが一番いいんだろうなぁ。

あとは話の作り方の話。

小林賢太郎さんは話を考えるとき、仕組み、オチ、中身の順。

西尾維新さんの場合は、テーマ、オチ、中身、で冒頭をイメージし終えた段階で書き始めると。(ちなみにこの方法は次の荒川先生との対談の時にはもう変わっている)

そういえば森博嗣はひたすら抽象的なイメージをぼやぼや思い浮かべてあとはそれを映像化してそれを書き綴るという感じだったな。

西尾さんは言葉遊びが本当に好きなんだなぁとしみじみ感じた。(まぁこれ以降の対談でもずっと感じるんだけど)

 

荒川弘×西尾維新 物語をどう終わらせるのか

ハガレン(鋼の錬金術師)。銀の匙。アルスラーン戦記。金字塔を打ち立て続ける荒川先生との対談。

荒川先生が農家の生まれだとは知らなかった。そういうのもあってかなにかこう物腰柔らかながら静かな闘志を秘めた八軒勇吾(銀の匙主人公)的な印象を受けた。

あとグリードの「欲に貴賎はない」っていう考えも共感するなぁと再認識。

「死んだ奴に会いたい」も「金が欲しい」も「女が欲しい」の「世界を守りたい」も全部”欲する心”・・・。すなわち”願い”だ。
どれも本心から湧き上がる感情に変わり無いからな。
俺に言わせりゃ欲に貴賎は無え。
「欲」っつーもんに格付けするから人間ってのはややこしーんだよ。

引用元:鋼の錬金術師 21巻

あと西尾先生の執筆ノルマ1日2万字て……すごすぎる。しかも単なる文章じゃなくて作品の文章を1日2万字て。

ある程度周りとのコミュニケーションをとって複数人で仕上げることになる漫画家と自分一人で全て作業を完結できる小説家の対比も面白い。

 

羽海野チカ×西尾維新 やすりで肌を削るように「創る」

今回の対談相手の中では羽海野チカさんが一番好きな作家さん。

ぼくはハチクロや3月のライオンのあとがきを読んでてよく「あぁ、この人がこういう作品を書くのか」と思うのと羽海野チカさんの魅力的な人となりをすごく感じるのだけれど(勘違いしている可能性も否定はできないが)、この対談を通してもそれは有り余るほど伝わってくる。

これほど一生懸命で優しくて誠実で真面目で謙虚で人間くさい人を知らない。

今回の対談の中で一番印象深いのは多くの人が悩みがちな”才能”というテーマだ。すごく上手くこの問題のポイントをついていると思った。

羽海野:そうなんです。私もそういう意味で「才能」という言葉に対してどこか複雑な気持ちになったりするんですよね。才能と言われるものを、何かどこにでも行ける切符のように思っている人がいる。その切符を持っているのはいいな、言われてしまうと、ややもすると「タナボタで良かったね」みたいに捉えられているように感じてしまって、才能の「種」みたいなものなら持っているかもしれないんですけど、それってものすごく時間をかけて自分の身を切って流した血で育てるものなのにな、というような。楽はまったくできないですから。
西尾:さっきの月火と撫子の会話の例で言えば、月火が反論しそうなところの言葉ですね。「よかったね。たまたま可愛くて」に近い言葉なのかもしれない。
羽海野:思い違いだと言われる方もいるかもしれないんですが、私は自分のやっていることについては、「同じだけやれば(誰であっても)できるんじゃないか」と感じているんです。ただやっている時間の長さのような気がしていて、今、私がやっているところまでの時間の量だけ、投げないでずっと執着してやり続けていれば、誰でも同じところにまで行けそうな気がしてしまって。
(中略)
羽海野:そういうのはあると思います。「才能」って、その一万時間なりをやった「あと」の話なんです。膨大な時間をかけせすれば、ほとんどの人がかなりのところまでは来ると思うんですけど、そこからどこまですごいものを作れるかどうかこそがたぶん「才能」で、だから、切符でも何でもないんですよね。切符があるなんて言われたら、生活のほとんどの時間をかけてきた過程の、とても長い思い出がすごく悲しがると言うか、「これのせいでほんとうに他のことは何にもできいない人生になっちゃったな」みたいな思いは、ないものにされてしまうんです。
(中略)
そういう、これまで話している「才能」と言われているものごとの内実みたいなことについては、漫画を描いているうちに、読者さんに伝えていいのかいけないのか、それはわからないなと思うんです。何と言うのかな、「知りたくない」という気持ちもあるような気がしていて、小説家の森博嗣さんが本の中で前に「どうやったらいいかわからない、という疑問はほんとうは解決していることが多くて、じつはどうやったら知っているんだけど、面倒くさくてやりたくない方法……というのが正解なんです」みたいなことを記されていて、あ、それですと思ったこともあります。
西尾:何かに挑戦して、できなかった時に受ける深刻なダメージを考えたら「やらないほうがいい」とい考えかたもありますもんね。
羽海野:そうですよね。膨大な時間を注ぎ続けるというのは、賭けですから、とりあえずやってみないことには、その先の話はできないはずなんです。つまり、まずはものすごく時間をかけてみなければ「才能」の話もできない。

引用元:西尾維新対談集 本題 128-132p

人によってはこういった考え方によって破滅する人もいると思うから、一概に断言はできないとは思うけど、ぼくは羽海野チカさんの考えにものすごく共感してしまう。

だから、この対談での結論のように

道は、最終的には「練習を続けること」の中にしかないわけです。

引用元:西尾維新対談集 本題 134p

と思ってしまう。

 

辻村深月×西尾維新 「今」しか書けない物語

辻村さんはあまり知らないし、まだ著作を読んだことがない。

この対談ではこれまでと違って小説家同士の対談だったので、話のテーマが「小説を書く時の道具」とか「データ保存の仕方」とか「小説家を目指している時に思ってたこと、なった時に負ったこと、やめようと思ったことがあるか」とかの話になって小説家の仕事風景という私生活みたいなものが垣間見えた章だった。とりあえずポメラを買おうと思う。

後半に出てきた「小説家は最後の職業だ」という話が印象的。いやほんとそんな気がするなぁ。(余談だがここでも西尾さんの執筆スタイルが変わっているのに驚いた。もはや文字数くらいしか決めていないような感じ)

そして西尾維新さん、羽海野チカさん、森博嗣さんというぼくの好きな作家さんTOP3の交友が(交友関係にある人が少ない人達にも関わらず)深いというのも分かって、なにか感慨深かいものを感じた。

 

堀江敏幸×西尾維新 空っぽになるまで出し尽くす

堀江さんも小説家だけど、前の同世代である辻村さんとの対談とは打って変わってどこか緊張している感じの対談。

前回同様、ぼくは堀江敏幸さんの本も読んだことがなくて……というか堀江敏幸さんのことも知らなかったのだけれどこの対談からもう人柄がすごく伝わってきた。

なんというかもう厳格なおじいちゃんという感じの人柄が(失礼) ちなみにWikipediaで調べてみたら現在52才(対談当時50才)だったのでおじいちゃんという歳ではありませんでした

堀江さんが固く固く主張、返答しているのに対して(これまでの対談でもそうだったけど)相手に合わせるように語る西尾先生が印象的。

最後の対談で自分の固い価値観を貫く堀江先生とその場その場に合わせる西尾先生が対照的で面白かった。

うん。やはり対談本は貴重だ。作家の人間味、というか作品からは見えにくい側面がわかるのがおもしろい。