「もしわたしがあなたを見ただけで好きになったら、嬉しいですか?」
2015/12/23
もしわたしがあなたを見ただけで好きになったら、嬉しいですか?
2015年冬。
けっこう昔のハンサム★スーツという映画を見ていたらモニターのなかのヒロイン(北川景子)が一目惚れだといって告白してきた主人公(ドランクドラゴン塚地)にそう返す。
この時ぼくは2015年最速かと思われる勢いで手を叩いた。
「たしかに」
と。
ちなみに告白してこう返された主人公(塚地)の方は外見くらいしかヒロイン(北川景子)の情報をもっていない。
つまり外見だけを知って好きになったのだ。
ぼくはこのセリフにひどく共感……というか感銘を受けた。
見た目の恋が良いとか悪いとかのポイントをこの一言で表していると思うからだ。
このセリフの答えは人によって変わるだろう。でも答え自体はすぐ…というか脊髄反射的に出るはず。
どっちが正しいとか間違っているとかはないと思うけど、ちなみにぼくは嬉しくない。
見た目だけで好きになったということは、見た目だけで嫌いになるということだ。
人は老いる。見た目は必ず悪くなっていく。(今後整形技術とか義体技術の目覚ましい発展がないかぎり)
つまりその「好き」は期間限定の好きだということを言っている。
それがなんかさみしいのだ。
「しわくちゃのおばぁちゃんになってもずっと好き」
そんなハーゲンダッツ華もちも比較にならないくらい甘いセリフをいたって正気で言いたいのだ。
別に外見が好きだということが悪いとは思わない。そりゃ見た目は良いほうがいい。イケメンの方がいい。美人の方がいい。
「中身が同じなら見た目が良いほうが良いじゃん」というのはぼくも思う。
でもだからといって見た目>中身としてしまうのはどうだろうか。
いつだって心のハンサムさは見た目のハンサムよりも輝くのだと。少なくても近くにいる人にはそう思ってほしい。そう在りたい。
そしてぼくは想像よりも甘かった食べかけのハーゲンダッツをおばあちゃんにあげるのだった。