優秀さとは一つの動作ではなく、習慣のことである。
NBAの名センター、シャキール・オニール(シャック)の言葉だ。
最近はこの言葉がぼくの座右の銘になっている。
人は恋人ができたり、いい映画を見たり、翼が生える液体を飲んだりすると、いつも以上に頑張れたりする。
冷たい人でも月に1回くらいはとても優しい時がある。
和食が嫌いな人でも年に1回くらいは寿司を食べたくなる日がある。
普通の人間でも瞬間的にすごいパワーを出す時がある。
でもそれは一瞬だけだ。
その人を見るときには一瞬のことだけで測ってはいけない。ぼくらはそれを無意識的に知っている気がする。
だから「あの人は優しい人だね」とか「あの人は我慢強いね」とかいう言葉の前には (いつも) という枕が隠されている。
同じように優秀さ、すごさ、強さといったものもそれが指しているのは瞬間的なものではない。1日の出来でもない。習慣なのだ。
だとするとぼくらが「素晴らしい人間になろう」「すごい人になろう」「強い人間になろう」と言うときは、「素晴らしいことを習慣的にできる人間になろう」「すごいことを習慣的にできる人間になろう」「普段から強い人になろう」ということになる。
決して「普段は普通の人間だけどいざとなったらすごく強い人間」ではない。
それはぼくらはすごく強い人だと感じないだろうし、実際のところ普段たよりない人間がいざとなったときにやたら強くなるなんてことはないだろう。
少なくてもぼくはそんな人を見たことがない。
そう。素晴らしくなりたいのであれば、素晴らしい習慣をつけなければいけないのだ。
では素晴らしい習慣をつけるにはいったいどうしたらいいのか?
それはk (To Be Continued)