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ドラマ「嫌われる勇気」を見た感想とアドラー心理学との乖離

      2017/01/18

ぼくはアドラー心理学を正しいとはあまり思わない。

ただそれでも「巷でよく言われているアドラー心理学」と「実際にアドラーが提唱していたアドラー心理学(個人心理学)」がだいぶ乖離しているのには一言二言言いたくなってくる。

 

そこにきて今回のドラマ、「嫌われる勇気」である。

このドラマはアドラー心理学の思想を説いた同名の書籍が原作。

ちなみにぼくはこういった意訳本が嫌いだ。ただでさえ解釈の余地があるメッセージにさらに独自の解釈を加えてしまっていてもはや原型をとどめていないからだ。超訳ニーチェとかあれほんまええかげんにs

 

いや原作著者の岸見一郎さんはアドラー心理学の第一人者で、たいしてアドラー心理学に詳しくないぼくが「原典と違うよ」なんて本来は口が裂けても言えるわけはないのだけれど………それを踏まえても………うん………違くね?

特に序盤なんかはそれこそ意訳、拡大解釈しすぎて普通の人が精読せずにさらっと見たら9割方誤解を生むんじゃないかと思ってしまう。

これだったらWikipediaでも読んだほうがまだ正確なんじゃないだろうか。

参考リンクアドラー心理学 – Wikipedia

 

今回のドラマにおいてもそれはだいぶ拡大解釈されている感がある。

 

すべての人間は主観の中で生きている

ある意味では正しいと思う。

しかしその主体は間違いなく客体を影響を受けるのだ。

主観という色メガネをいくら変えても毒キノコがショートケーキになったりはしない。それほどまでに毒きのこは圧倒的に毒きのこで、ショートケーキは圧倒的にショートケーキなのである。

 

みなさんが私をどう思うかはみなさんの課題であって、私の課題ではありません。
私は他人の目を気にするといった不自由な生き方を選択していません。

自分の人生を生きるというのは大事なことだと思う。

しかし、他者からの影響を全く受けずに生きるというのは(物理的にも精神的にも)不可能ではないだろうか。

裸になりたいと思えば路上でも裸になり、むかつけば他人を殴り、相手から殺されてしまうようなセリフでも思うがままに口にする……こんな感じで他者や社会を気にせず本当に思うがまま生きれば1週間後にはあの世行き、良くて牢屋行きだ。

他人を気にせず自分の思うがままに自由に生きようとするほど、現実的には自由から遠ざかっていくのである。というかこのセリフ自体アドラー心理学の考えと思いっきり対立しそうだけど……この後主人公も成長していくのかなぁ

 

巷で喧伝されているアドラー心理学(仮)はこういったことをあまりに軽視しすぎているように見える。

主観が影響しない、と言っているのではない。主観を過信しすぎているのではないか、ということである。

 

最近のアドラー心理学関連のメディアはこれをより歪めて喧伝している感が強い。

 

今後のドラマの展開がどうなるかは分からないが、少なくても実際のアドラー心理学にきちんと則るなら単なるわがままや自己正当化を主体性と履き違えている第1話の主人公のような行動や態度はとらないはずだ。