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「編集王」の感想。日本財団学習マンガ100選その13

      2016/01/13

 

編集

 

 

ジャンルを問わず編集って大変そうですよね。なんか気苦労が多い感じします。(小並感)

 

参考リンク「聲の形」の感想。日本財団学習マンガ100選その1

注意点この記事はネタバレを含みます。

編集王

今回は土田 世紀さんの「編集王」です。

編集王(1) (ビッグコミックス)

 

編集王のあらすじ

15年近く打ち込んだボクシングの世界で芽が出ないまま、網膜剥離で引退することになった桃井環八(カンパチ)が、新たに出発したマンガの編集の世界で『あしたのジョー』の“ジョー”を目指す姿を描く。
実在の人物・事件が織り込まれているが、それを抜きにしても、それまであまり取り上げられる事のなかった1つの「業界」を描いた作品である。現代の漫画業界そのままをリアルに描いたというわけではなく、物語上、大幅に戯画化されている。

引用元:編集王 – Wikipedia

編集王の感想

マンガの編集のマンガ。というくくりになっていますが、文芸やゲームなんかも扱います。ぶっちゃけて言ってしまうと、まとまりはないと感じました。

作品の前期と後期でけっこう作風がけっこう変わります。全部で16巻あるのですが、1巻~3巻と14巻~16巻ではだいぶ印象が違いますね。(絵のタッチもけっこう変わります)

少し前のマンガ(1巻は1994年)なので、序盤はちょっと感覚が追いつかなかったところもあるかなぁ。あ、コミケが昔マンケ(マンガマーケット)という呼び方だったというのは知りませんでした。逆に新鮮。この話にあったメディアの無責任な干渉と第三者の歓迎すべき干渉の話とかは今も通じるものがあるなぁ。マスはホント変わんないんだなぁ

 

中盤、文芸の話とかはおもしろかったし、考えさせられるものがありました。

そこまで活発だった文芸(いわゆる活字だけの本)が衰退してマンガが隆盛を極めていた時代の中、需要があるからといって何の理念もなくただ売上だけを考えているマンガ業界を憂いてこんなセリフが出てきます。

このままじゃマンガの未来は、たやすく次の「なにか」に食われちまうだろうな。

この巻の執筆は1995年。マンガはまさしく全盛期。携帯電話も普及していませんし、インターネットもあまり普及していません。この時にYoutuberやゲーム実況なんてどれだけ言って聞かせても理解できないでしょう。作者の土田さんもこれを書いた時点でその「なにか」がいったい何なのかはわからなかったと思います。

でも、”なにか”には食われる。こういうの見えるのすごいなぁ、と思いました。ただ盛者必衰の話だと言われてしまえばそれまでだけど……今のソシャゲやYoutuberとかにも同じことが言えますよね。

 

 

終盤は本の在り方について論じる感じです。序盤は存在感だけが強かった主人公でしたが、終盤は空気のように……。

ここでは本の…とりわけ”日本”の本の特殊性について触れていきます。「再販制度」についてです。

毎週読んでいる「ヤングシャウト」がないから今週は「ヤングナッツ」を…なんて消費者が居ると思うか?

たしかにパンとかと違って、毎週読んでいるジャンプがなかったからといって別の週刊誌を買ったりはしないですもんね。そういう意味で雑誌の競合の形はかなり特殊。

参考リンク再販制度 | 一般社団法人 日本書籍出版協会

 

最終的なのは、競争か保護かみたいな話にもなってきましたね。「こんな生ぬるい環境にしてるから消費者とかいろんな所にしわ寄せがくるんじゃいー」「完全な商業主義では若い芽が育つ環境がなくなるー」みたいな。最終的には「理屈じゃない文化なんだ。相対性を無視する絶対性、こだわりなんだぜ」みたいにして締めていましたがなんか二律背反的にあつかうのはおかしい気はします。保護するのも競争させるのも目的はそんなに変わらないのになぁ。バランスが大事なんだと思うけど。

ただすごく皮肉な描写になっていることが一つ。この論争で主人公達と相対した陳(ラスボス)が最後に主人公達のなにかを理解し、潔く引き下がるその引き際に「そんなら再販制が撤廃されてもされんでも……それでも本でメシ食うたるゆう肚だけはくくっといてや!」と言って激励するように去り、立ち会ったみんなが「あぁ……(キリッ」と胸に刻む、みたいなシーンがあります。

この最終話を書いたのは1998年だそうです。それから17年後の今、業界はこれを直視できるのでしょうか。

 

全体としてはいろんなところに手を出し過ぎちゃった感はあるけど、おもしろかったです。