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ラグビーのOne for All,All for One精神の日本における勘違い

      2016/08/23

ラグビー 勘違い

前にNHKの「アスリートの魂」というテレビ番組で五郎丸歩選手の特集をしているのを見ました。まだ例の南アフリカとの一戦の前で五郎丸選手も日本ラグビーもメディアからほとんど注目されてない状況での撮影でした。そこでいろいろと考えさせられたことがありました。

 

 

One for All,All for Oneについての勘違い

みんなは一人のために、一人はみんなのためにというやつですね。この言葉は誰もが聞いたことがある言葉でしょう。たぶん。

そんな中、このOne for All,All for Oneという言葉を使って個人の失敗をみんなの失敗だという連帯責任に結びつけている言説を最近見かけました。

でも「個人が全体のために、全体が個人のために動くこと」=「個人の責任は全体の責任」ではありません。

 

さきほどの番組の中で、とあるシーンがありました。五郎丸選手が高校時代、全国大会でボールを取り損ねたことが要因となって試合に負けたというシーンです。そこでの監督の言葉がとても印象的でした。

その時の監督だった小城監督は番組の中でこう言いました。

「ボールの処理は個々の能力、個人のスキルなんですよ。これは五郎丸歩の責任なんです。他の誰の責任でもない。」

 

”個人が果たすべき個人の役割、責任というものがある。それをカバーするのはその個人以外の誰でもないし、それが上手くいかないというのはその個人の過失ということになる。”

これは至極真っ当なことだと思います。

 

”個人がカバーできるはずだった、やるべきだったことを怠慢によって失敗し、それを全体がフォローする。”

それは甘えです。それは馴れ合いです。決してAll for One,One for Allの精神ではありません。

 

一人一人が自分自身の役割を把握し、それを果たした上で全体のことを考えるのが本来のAll for One,One for Allの精神。それは個々人の自律の上に成り立つ、相互補助の関係です。

 

日本によくありがちな責任の所在を曖昧にすることではないのです。一つのプロジェクトに特定の個人を責任者として任命することなく、失敗した時に主要な人達周辺のぼんやりした範囲の責任としがちなアレですね。これが上手くいく場合もありますが、個人的にはだいたいは悪い方にいっているように思えます。

 

和の精神というのは一人一人が役割を果たせてない中では何の役にも立ちません。

服のコーディネートとかと似てますよね。まずちゃんとした服があって、それで初めてコーディネートが問われるのです。ヨレヨレのTシャツやベトベトに汚れたパンツ、穴の空いた靴では和もコーディネートも何もありません。

 

余談、五郎丸歩選手の魅力

余談ですが、ラグビー選手というのは他の競技の選手に比べて非常にロジカルな考えをしている人が多いように感じました。

 

画面の中の五郎丸選手
(目の前に)見えるものと戦っていくしかない
ファンための
確かに目に見えないものと戦うって一人相撲になりがちだしなぁ。うんうん。

 

画面の中の五郎丸選手
(既に高いプレースキック成功率をさらに85%まで上げるためにどうするか、という問いに対して)何か変えないと85っていう数字はなかなか出ないですよね。
ファンための
なんというアインシュタイン…。狂気とは同じことを繰り返し行い、違う結果を期待することだ…と言わんばかりだわぁ。(いやあれはリタ・マエ・ブラウンなんだっけか) リアリストォ。

 

みたいな感じで気づいたら画面の前で一人首を縦動かす気持ち悪いやつになってました。中身もすごく芯のある方ですね。

監督や他の選手を見ても芯のある人が多いなぁと思いました。タレント性のある人も多そうだなぁとか思いました。ラグビー業界はさらに発展しだなぁと感じました。なんか最後小学生の作文みたいになったけど、そう思いました。