ぼくらの研究

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早○田大学哲学コースの教授と喧嘩した

      2015/05/18

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僕は哲学が好きだ。

 

普通、哲学というと

「答えのでない、ぼんやーりしたどーでもいいことを延々と考えている無駄な学問」

と思われているようでとても悲しいが、

ホントは

「大事なことをちゃんと考えようぜ」

という真面目でめちゃくちゃ役に立つ学問だなのだ。

 

もちろん僕も役に立っているからこの学問を勉強している、
役に立たなかったら誰がこんなクソ面倒くさい非常に手間のかかるものを勉強するだろうか。

 

 

むしろ学問全般は哲学だと言ってもいいかもしれない。
(実際、昔は学問には哲学しかなくて、そこから生物について考えるものは生物学…みたいな感じで細分化していったというのだからあながち誇張でもないと思う。)

 

 

ただ、

 

ただ一つ、嫌なことがある。

 

 

 

 

哲学を学んでいる人の中に
相手の意見を聞こうとしない人がいることだ。

 

語弊を恐れず言うなら、
頭の硬い人だ。

 

 

 

実は先日縁あって某超有名大学で哲学を教えているという人と
オルテガの「大衆の反逆」という著書について話したことがある。

 

 

 

今回の記事はその時の話。

 

感想文みたいになってしまうので、
この時点で不要だと感じる人はブラウザバック推奨。

 

 

彼は西洋哲学に通じてはいたもものの、
このオルテガというスペインの哲学者についてはそこまで精通しておらず専門外だと言った。

 

 

だが概論はざっと把握しているのか、

「あぁあれね。」

と言った。

 

だがその本の内容について話を及ぶと

「あれは単純に大衆に自由にしなさいと促す本だから」

と言って、結局それに要約できるから
他には特に語ることがない、と続けた。

 

それが自分の知っている本の内容とあまりにも違ったので
再度聞き返したが、彼はまた同じ言葉を繰り返した。

 

自分は確かに彼に比べればキャリアの浅い素人には違いないが
この本は600時間くらい精読して、なるべく誤解のないように読み進めたものなので
そこまで違いがあるとは思えない。

 


 

自分が間違っているかもしれないがその真偽を確認するために、
そこで本の実際の内容を出して、

「本のこことここでこう言ってますよね?」

と具体例を挙げると、彼はかの有名なWikipediaで、
大衆の反逆の原典ではなく、オルテガ自身のページを開き、

「ほら、ここに自由主義を運命の真理としていると書いてるじゃないか!」

と憤慨した。

 

「それは確かに言ってますけど、この本の内容は別のところにありますし、
そもそもオルテガの自由主義はそういったことじゃなくて…ということなんじゃないでしょうか?」

 

と訊いたが、彼は聞き入れず、反論もなくただ憤慨して議論をうちきった。

 

 

 

正直、驚きと落胆を禁じ得なかった。

 

 

 

 

よもや哲学を人に教える立場の人が
人の意見を封殺し、反論を許さず、その論拠を示さず議論を終了するとは思わなかった。

 

ましてや彼の主張に論拠となるのが
原典の内容はなく、Wikipediaの直接関係のないページの一文を
飛躍して解釈したものだったから、なおさらがっくりきた。

 

これでは、
何が正しいのかを見極めたいのか、
それともただ自分の意見を通したいだけなのか
わからないではないか。

ホントにその某有名大学の教授なのか、と疑いたくなる…。

 

 

というお話。

 

確かに僕は哲学を専攻してきたわけではない。
大先生から比べたら、ひよっこ同然だし
彼が因数分解を学んでいるとしたら僕は足し算を学んでいるところだ。

純粋に哲学を学ぼうと志している人から見れば
見れたものではないだろう。

 

今回の話も僕のレベルが単に低すぎて、
彼の行いを理解できなかっただけという可能性はある。

 

 

でも因数分解に関しても何も言えなくても
相手の足し算引き算が間違っていたら
それを指摘するのはいいのではないだろうか。

 

そしてそれが間違っているのなら、
その理由を示すのが学問の条件ではないだろうか。

 

 

 

要するに、

 

みんな聞き耳持とうね

 

決めつけるのと決めるのは大きく違いますよ

 

ということを言いたかった。

 

 

乱文失礼しました。