ぼくらの研究

ぼくらのための研究をしていきます。

凡人の凡人による凡人のための歩き方

      2016/04/17

ぼくは凡人だ。それは間違いないと思う。

ウサギとカメで言うなら間違いなくカメの方である。

でも凡人には凡人なりの、カメならカメなりのやり方がある。

ウサギよりスピードが遅いからと言ってそれがそのまま勝てないということにはならないし、ましてや進まない理由にもならない。

というポジティブさを持った上で、ぼくら凡人なりの歩き方…というか流儀を書いていきたいと思う。

 

 

凡人の4つの流儀

1.自分の意志の力を信じない

意志は大事だ。本当にそう思う。

でもそれに頼ってはいけない。

人間は感情に流されてしまう。理性は感情にたいてい負ける。

「自分がその気になったら辛くない方に逃げれる」という環境はダメなのだ。結局辛くない方に逃げてしまう。ほぼ自動だ。

ましてやぼくらは凡人だ。意志の力は総じて弱い。

だから意志の力でどうこうできないような環境を自分で作る必要がある。

それは例えば、人目が気になって仕事をせざるを得ないカフェに行く、ネットに接続できる機器を持たずに図書館にこもる、でもなんでもいい。

大事なのは自分の意志の力だけで現状をなんとかしようとしないことだ。

 

人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。
2番目は住む場所を変える。
3番目はつきあう人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。
最も無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。

大前研一

2.メモを見る

「要領の良さ」というのはつまり、短時間で物事の要所をつかんだり、さまざまな視点から物事を見れるスピードにある。頭の良さと言ってもいい。

そういう頭脳を持っているのであれば別に問題はない。

でも、ぼくらは凡人だ。頭が悪い。しかしそんなぼくらが擬似的に頭を良くすることができるものが、実はある。

メモだ。

よくよく考えてみれば当然だが、メモは見るだけで(擬似的に)要領を良くしてくれる。

例えば、ブログを書く際に気をつける20のポイントがあったとする。頭の回転が早い、容量のいい人はそんなものを見なくてもスラスラと書けるかもしれない。ぼくらは普通それができない。

ただぼくら凡人にも擬似的にそれに近いことができる。そのポイントをメモして書くときに見ればいいのだ。

なんだそんなことかと思ってしまうかもしれないが、ぼくは仕事でもこれを徹底している人をあまり見たことがない。凡人であればなおのことこういったことを徹底しなければいけないのに。

 

3.数を打つ

才のある者、要領の良い者、勘の良い者とそうでない者の最も分かりやすい違いはその「打率」だ。

凡人が100回やって1回当たるものを、彼らは10回で当てる。

また同じセリフを繰り返すが、ぼくらは凡人だ。

だから少なくても数を打たなければ話にならない。

ウサギとカメの話そのままに効率で負けているなら量で勝負するかないのだ。

「才能はないのは分かってますけど、努力するのもイヤです。」というウサギに生まれていないのにカメにすらなれない者には今のところ助言する言葉を持たない。

 

4.自分の色を出す

自分の色を出していこう。

「突出した才能のないヤツが自分の色を出すなんて…」と思われがちだが、逆だ。

自分の色を出さずに無色透明的な仕事だけで凡人が勝とうなんていうのは思い上がりだ。単純な仕事効率で言ったら要領の良いヤツが有利にきまってる。

勘違いされがちなことだが「ユニークであること」=「突出した才能があること」ではない。

鮮やかな単色(一方向に突出した才能)ではなくても、黒ずんだ赤や青みがかった青、なんとも言えない茶色もユニーク以外の何ものでもない。それは他にはない自分だけの色だ。

もう四回目になるが、ぼくらは凡人だ。だからこそ自分にしかない自分だけのその色を精一杯出す必要がある。

 

それが凡人の凡人による凡人のための歩き方だとぼくは思う。