ぼくらの研究

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新国立競技場の問題に感じる、日本と海外のタイミングの違い

      2016/01/13

交渉

海外滞在経験がそんなに多いわけではないし、ましてや欧米にしか行ったことのないぼくがドヤ顔でこんなことを語れるものではないかもしれないが、その決して多くない経験からぼくは日本と海外のある「タイミング」の違いを感じる。

決定的なタイミングの違い

日本と海外(欧米)ではやり方自体が違うことも多いのだが、決定的に違うのは複数の人や組織が絡んだ時の問題に切り込むタイミングだ。

 

ある問題に対処する時、日本の場合は最初に相手への心象を気にしながら親睦を深める。いきなりズバズバと問題に切り込むようなことはしない。お互いの印象を確かめ、ぼんやりとした関係を築いた後に相手の顔色をうかがいながら「ではみなさんそろそろ…」とようやく本題に切り込んでいく。

 

でも海外(欧米)は違う。最初だ。最初からこれはYes,これはNoとハッキリ取り決めていく。相手の顔色をうかがって問題を横においておくことをしない。最初に切り込むのだ。相手の心象を気にしないわけではないが、重要なのはそこではないと言わんばかりにプライオリティ(優先度)がしっかりしている。

 

もちろんその後の関係等があるのは分かる。和をもって尊しとなすの精神よろしく相手への気遣いを忘れず、関係を良好に保つのは大事だ。ただ短期的にその問題の対応という点だけで見ればこのやり方は非合理的なやり方だと言わざるをえない。

日本のやり方と海外のやり方、どっちが絶対的に良いとか悪いとか断言できるものではないけど、その問題単体の解決だけで見れば前者の方が圧倒的に効率が悪い。

身近な例と数字

国内で働いている外国人と話すとよく言われるのが「なんで日本人はそんなに働くの?」ということだ。これは「なんでそんなに真面目なの?」ということではない。「なんでそんなに(長い時間)働くの?」ということだ。

彼らは定時、場合によってはもっと早めに仕事を切り上げる。なぜなら仕事が終わっているから。成果を出しているのであれば残業する意味はないじゃない。そういうもっともな意見だ。彼らは(クオリティの差はあれど)仕事は終わっている。同僚の日本人は終わっていない。つまり端的にさっきのセリフを言い直せば、「なんで仕事がそんなにトロいんだ?」ということだ。

 

こんなことを言っているぼくも日本人が決して能力が低いとは思わない。むしろ非常にユニークで貴重な能力を持っていると思う。勤勉…というか丁寧で我慢強く、異常なほど細かい気配りができる。ただ同時に恐ろしく不器用だとも思う。

 

でなければ、先進国でトップの労働時間ながら一人当たりの国内総生産(GDP)が27位だったり、アメリカ人の友人が定時でささっと帰れて、同じ職場の日本人の友人が「今日はまだ帰れねぇわ」とPCのディスプレイを恨めしそうに眺めているのは……ね。

 

新国立競技場の問題に切り込むタイミング

今回特にそれを感じたのは、新国立競技場の問題だ。報道される度に

「いまさらそこか」「まだグズグズしてるのか」

と多くの人がつっこんだことだろう。

 

これは新国立競技場に限らず東京オリンピックの問題全般に言えることでもある。「なぜ今更問題の本筋についてモメているのか」

 

最初に多くの人を巻き込んでコンセンサス(同意)はとるものの、実際にその問題に取り組もうと重い腰を上げるのは「そろそろちゃんとやんないとマズいかな」となってからだ。小規模のプロジェクトならともかく大規模で非常に複雑なプロジェクトでこういったやり方は適切とは思えない。

別の記事でも言ったが、こういったものはボトムアップ型で進めようというのは無理な話だ。

参考記事新国立競技場の現状と問題点を考察してみた

 

新国立競技場に限らず東京オリンピックに関するあらゆる業務では関係各所との連携が必要不可欠。

個人単位の仕事へのアプローチにはそこまでの差を感じないが、問題は他人や他の組織が関わった時、他と連携して物事を進める時にさきほどの日本人特有の不器用さ、ひきしめるタイミングの遅さが事を良くない方向へと転がしていく。

 

ちなみにこれは直接運営に携わっている人々だけの話じゃない。

ぼくら一般の人も周りがヤバイと騒ぎたててからちょっと考えて見てみて、批判したりすることを自覚しなくてはいけない。このクセは日本人に共通するクセなのだから。

 

 

…という雑記。

もちろんぼく個人の経験から考察したことなので、まだ知らないところがあるとは思うけど……何か「いやここはこうだ!」というものがあれば後学のために教えていただきたいのでぜひTwitter等でご連絡をいただければ幸い。